Vis ta vie.

どこにも行けないひと

2022/12/8

元気がなくなると散財してしまう。
財布の紐をきつく締めないとと思うのについつい緩めてしまう。

そういう時によく買うのは本、化粧品。
でもそういったものは買ってそのまま放置してしまうことが多いので、今回は小さなヒーターを注文した。

身体を冷やしてしまうのも、落ち込む要因になってしまう。
あとはわたしが家の中で、なるべくひとりきりになろうと思う時に過ごす小さな部屋には、暖房器具がない。天井裏に電気ストーブがあるはずだけれど、出すのも正直めんどくさい&少し大きい。

ということで、ひとりきりで心穏やかに年末年始を過ごすために必要な出費だからと、浪費を少し正当化してみる。

今日は「しまう」を使いすぎてしまった。

2022/12/7

大御所漫画家の幼少期のエピソードで、漫画雑誌を丸々一冊模写した、というのを見たことがある。

子どもの頃に漫画を模写した、というエピソード自体は、プロアマ問わず、絵を描くことが好きなエピソードとしてはちょこちょこ聞く。

わたしも小学生の頃に、目で見て模写してみたり、トレーシングペーパーを上に重ねて写してみたりしていた。
今は全く描かなくなってしまったけれど。
一番覚えているのはセザンヌ静物画をクレヨンで模写したこと。漫画じゃないのかよ。
白いクレヨンを他の色の上に塗ると色が馴染んで油彩画のようになる。

これもどこかのインタビューで見た記憶だけれど、とあるタレントは舞台に出演する際、台本を渡されたらまずすべて書き写すという。

歌劇団の演出家も、原作ありの作品はまず原作を地の文もすべて書き写すと答えていた。

そういえばわたしは好きな歌詞や小説を、ノートに書き写したり、ワードの書式を変えてタイピングしたりしていたな、というのも思い出した。小学校高学年から中学生の頃の話。

書き写す、描き写す、というのは大事なことなのかもしれない。
創作物に関しては、それをさも自分の作品のように振る舞うのはもちろん絶対に駄目だけれど。
そうではなく、自身の作品、表現を生み出すまでの過程において、“写す”という行為を経ている人も少なからずいるのだろう。

良いものを自分の手を動かして取り込んで、そこから自分の作品の形が作られていくのだと思う。なんの影響も受けずに創作物が完成されることは、稀なことだと思うので。

栄養を摂取することで、自分の体が作られていくように、インプットがあるからアウトプットもある。

2022/12/6

50記事を越えて、いよいよ書けなくなってきた。

全く書けないわけではないけれど、心が灰色になってきている気がする。どこかにありそうな言い回しだなぁ。

願掛けを続けるには忍耐が必要だと思う。
わたしはせっかちなので最終的に諦めてしまうことが多い。

それでも人への好きは何年も、何年も続いてしまう。
結局叶わずに時間だけ費やされて終わってしまう、というのを繰り返してきた。

潔さも必要なんだろうな、もう学生でもないのに。いつまでこんな不毛を続けているのか。

救われたいなぁと思ってしまう。
自分で自分を救うのが一番簡単なはずなのに。

2022/12/5

便りがこないのは元気な証拠であると思いたいけれど。

そうは言ってもせっかちなので返事待ちのものが増えてくると焦る。

仕事の場合は業務に障ってくるので酷い場合は催促もやむなしだけれど(前の職場ではこれが溜まりに溜まってつらかった)、
プライベートの場合はあまりせかせかしたくないな……と思いつつ好きなひとであればあるほど急かしてしまう。

……嫌な人間だなぁと思う。

相手に事情があるのかもしれない、と思えている内はまだ待つことができる。

何か良くないことが起こっているのかもしれない、と思うときと、
この人はやっぱりわたしとこれ以上関わりたくないのかもしれない、と思うときは、明日地球が滅ぶのかもしれないくらいのレベルでハラハラする。
後者はこういう人間だからそう思われても仕方ないのでは?とも自分でも思うけれど。

なんだか、人との適切な距離を自分の中でもう少し長めに設定したい。
返事がこないのならそれはそれで仕方ない、忙しいんだな〜くらいで。

自分軸って言葉はあまり好きではないのだけれど(なんとなく響きがダサい)、言葉のダサさよりも他人の行動であれこれ振り回されている人間の方がダサいんだよな、
……と思いつつ今日もぼんやり過ごす。

2022/12/4

ニュー自転車を割と使うようになった。

使ってみるとやっぱり便利。
多少距離の離れたところもスイスイと行けて用事が済ませられる。
それと歩くときとは別の筋肉が鍛えられる気がする。主に太もも。

……とはいえかなり寒くなってきたので、またしばらく眠っていただくことになるかもしれない。
自分の足で歩く方がやっぱり暖かくなるスピードが早い気がする(目的地への所要時間はかかるけど)。

気がするといえば、料理が下手っぴになってきている気がするので、『きのう何食べた?』を読みながら簡単に作れてかつ好みっぽいレシピを溜めておく。

家のおせちはここ数年、店のものを予約することが多くなったけれど、今年の年末は黒豆煮くらいは作りたいなぁとか思う。

あとは関西人だけれど白味噌のお雑煮があまり好きではないので、来年のお正月は関東風を作ってみたいと思う。すましで、鶏肉とか入れるやつ。餅も焼いて入れる。

母方の祖母の家のおせちも結構美味しいので、祖母が元気なうちに教わっておかないとなぁともちょっと思う。
大きめサイズの高野豆腐に、絹さやが添えられているお煮しめとか。ごまめとか。
(ちなみに子どもの頃お煮しめの意味が分からなくて「鬼しめ」ってなんだろうと思っていた。耳で聞いただけの単語あるある)

祖母の料理といえば、ちらし寿司(ばら寿司)がとても美味しくて、これは前々から伝授してもらうべく2、3回一緒に作ったけれど、未だひとりで作れるレベルには至っていない。
母も再現できないので、このままだとあの味が食べられなくなってしまう。

一応お米何合の場合お酢はこれだけ、砂糖は、塩はとか、この食材はここのじゃないと美味しくないとか、要所要所聞いてはいるのだけれど、工程も多いため難しい……

でもこうして味は受け継がれていくんだろうなぁとか思う。
小さいことなら卵焼きの味つけとか。お醤油とかもわたしは好きだけれど、うちの定番はわたしが子どもの頃からマヨネーズ(カロリー気にしないならちょっと油断しても焦げないのでおすすめ)。

2022/12/3

 

毎年、年末年始になると気持ちが地に落ちるので今月から来月にかけてご自愛月間とすることにした。

先月買ったポルジョのメイクアップコレクションも開け始めた。
ひとまずこれがクリスマスまでの楽しみ。

あとは身の回りをいつもより整えて、体がカサカサしていると心もカサカサしてくる気がするので、これまでよりも保湿に力を入れようと思う。
美容に力を入れるのは、自分を大事にしてるなぁと一番思える。

あとは美味しいものを食べる。あたたかいものを食べる。飲む。乾燥させないことと、冷やさないこと。

人と関わることで元気になることもあるけれど、それは対面の方がより効果があって。
インターネットの世界だとむしろ落ち込むことの方が多いので、積極的に人の近況だとかを見ないようにしようと思う。インターネットで友人たちと関わるとしても、好きなものやことの話だけをする。

それでもきっと落ち込む時は落ち込んでしまうので、そうなった時はもう仕方ない。やれるだけのことはやりたいと思う。

 

2022/12/2

人の夢の話はつまらないと言うけれど。

結婚する夢を見た。
役所に書類を提出して、その足でなぜか二人で図書館に行って、そこで相手とはぐれる。そんな夢。

前半の方は願望夢みたいなものなのだろうけれど、はぐれてしまうのは嫌だなぁ。

わたしの夢はカラーだし、内容もはっきりしていることが昔から多いが、今回の夢は最近の中でも特にリアルで、鮮明だったように思う。

特に上記の夢全体の流れより、図書館の書架に並んでいる本たちが、鮮明で、こんな本あった気がする、と思わせるような本ばかりだった。

覚えているのは世界各国の食文化をまとめたようなシリーズ。旅のガイドブックをお洒落にしたような感じだった。
そういった本自体は現実にもたくさんあるのだろうけれど、わたしの見たものはきっと現実には存在していないのだろう。

実際には行ったことも、テレビの映像とかで見たこともない、夢で立っていた知らない景色が、実は現実世界に存在しているとか、そんな不思議な体験をしてみたい。

古典では夢に好きなひとが出てくるのは、その人が自分のことを考えていたから、なんてことも聞いたことがある。
高校くらいにその話を聞いたこともあって、好きなひとだけでなくて、知っている人が夢に現れたら「わたしのこと考えていてくれたのだろうか」とか考えてしまう。ロマンチストなので。

とはいえ、「脳が記憶を整理しているのだろうな」と思う自分もいる。
実際起きている間の出来事が夢の内容に現れたと分かるものもよくあるので。

苦しい夢もよく見るけれど、広く大きな建物の中を彷徨う夢を見ることが多い。現実がつらい時はそんな夢でも現実よりマシだなぁなんて思う。